明け方に降った雪が少しだけ積もったところがあったので竹箒で雪かき(?)しました。
静かにやっていたつもりだったのですが、その音を聞きつけたのか、お向かいのM晴さんが登場して一緒に道を掃いていきました。足腰が弱くなってることを知っていますので心配でしたが、人に頼るのはお嫌いなんでしょうね、丁寧に掃いていかれます。
僕がここに越してきた頃はサラリーマンをしてましたので、道の雪掻きはM晴さんにお任せすることがほとんどで、「いいよ。できる間はやるから。」と言うお言葉に甘えていました。なので、今はその分のお返しをしている感じです。
この数年に越してきたお向かい二軒もサラリーマンみたいですので、僕ができる間はやろうと決めています。
だいぶ溶けてきましたが春はまだまだです。早く木や草や花を植えたいです〜。
最近「整う」とか「整える」とかいう言葉をよく見聞きしますね。どういう意味なのかよくわかりません。が、心が落ち着くとか体がスッキリして再生した感じとか、そういう感じになるようにするとかいう意味で使っているのではないかと想像しています。若い人たちが使っている言葉だと思うんですが(言葉の変革はいつもそう。)、僕の若い頃は自分の心の状態について無頓着で、思うままに振る舞って、無神経に言葉を発していたように思います(今もそうなのかも)。 なので、今の若い人たちはセンシブルですごいナって思います。会社のコンプライアンスがどうとか、判断のエビデンスは何なのか?とか耳にしてこなかった外国語が使われることで、曖昧さが少なくなって判断が明確になっているのでしょうね。言葉は概念を作っていきますもんね。 自分を見つめることができるように繊細になることはいいことだと思うのですが、人にまでそれを求めることは避けたいものだと思います。が、今の人たちはそのこともわかっているように感じます。それもすごいな〜と感じる今日この頃です。 その片方で「癒す」とか「癒される」という言葉もよく聞きますが、これと「整う」とかがシンクロするのでしょうかね?