このところまた別荘暮らしをしている。のんびりして、ほとんど本を読んでいるか数独を解いているかである。
部屋は4人でシェアしていて(現在は2人になった)カーテン越しのお付き合いだから、これが面白い。何せ声しか聞こえてこないので、どんな人なのか想像するのが楽しい。歳はかなりの精確さで当てることができるだろう。体格はどうだろう?背の高さなど体格はわかりにくい。たまたま見かけたときに、大きいのでびっくりした。
性格は大雑把には捉えられると思う。部屋に入ってきた当初はみんな気を遣って喋るのでわかりづらいが、だんだん生活に慣れてくると、なんとなくいろんな事情がわかってくる。詮索するつもりはなく、却って親しみが湧いてくるから不思議だ。
考えてみると、今はこんな時代だからみんな顔の半分が見えないわけで、誰なのか相手からもらえる情報は少ない。でも、誰だかわからなくてもすぐに判明するのだから不思議なものだ。むしろ全身が見えなくなったほうがその人のことを理解できるもしれない、などと思ってしまうほどだ。
最初の別荘暮らしでは、ただ本を読んで、やはり数独を解いて、よく歩いて、食事をして寝る、という繰り返しだったので、面会人から「昨日お姉さんとローストビーフを食べた。今日はお寿司だ。」などと聞かされても(僕は毎日おかゆを口に運んでいた。)全然羨ましいとは思わない心境になっていた。ので、「このままだとなんの欲望も感じず、仙人のようになってしまうのではないか。」とこのブログに書いたら、読者の一人のNさんが「大丈夫です。すぐ元に戻ります。」とコメントを寄せてくれた。その即答ぶりと端的な物言いに、確信に近いものを感じないわけにはいかなかった。で、うちに戻ったら、言われた通りだった。
そんなことも思い出していたのだが、今回は仙人なんて悠長なことは全く思わない。なにしろ、帰ったらいろいろとやりたいことがあるのだ。こんなことは早く過ぎて、次に進みたいと思っている。
とは言いつつも、だんだん慣れてきているここでの生活を楽しんでいないわけでもない。