先日須坂市にある版画美術館へ行ってきました。チラシで見た清原さんの作品を見たくなったのです。
エッチングの作品が中心ですが、学生時代に制作したと思われるメゾチントの作品や、エッチングの本制作をする前の鉛筆画や銅版そのものも展示されていました。 見ていると、なんだか懐かしい気持ちが溢れてきました。 清原さんはタマビの版画教室の後輩で、僕が卒業した年に3年生で教室に入ったという感じです。ですから、ほとんど同じ年代の空気を吸っていたんだなということが作品からも感じられます。 当時のアートの流れとしては、リ・ウーファンを代表するコンセプチュアル・アートだとか、モノ派の名残りや、モノを意味するものとして扱って動きのある構成をするもの(僕もこの仲間)や、いつの時代にもあるカワイイ系や自然派やシュールレアリスム派などがありましたが、清原さんみたいに物語性にベクトルを絞った作品作りをする人はあまりいなかったんじゃあないかと思い返します。 清原さんの作品作りのルーツをあえて探ってみると、デューラーとかボッシュとか池田満寿夫とかあるいは象徴派とかに行き着くと思います。深澤先生が気に入っていたことがよくわかります。彼女の死の訳と別に考えるわけにはいかないことも感じます。 いずれにしても、作品を見てすぐに感じるのは、その仕事の精細さと質量の凄さです。それには圧倒されます。彼女なりに徹底している感じが潔くもあり、それだから引き込まれるところがあるのだと思います。 書きたいことはまだありますが、大切なのは、これらのことを自分にどう反映するかですね。30年という短い人生での仕事と捉えないで、仕事に向かわせていたものは何か?と考えると、自分の制作へのスタンスをもう一度考え直させられるものがあります。
アブラゼミの鳴き声が聞こえ始めました。夏本番でもあります。コロナ禍真っ只中でもあります。何をするべきでしょう?10人が毎日10話ずつお話ししても100日ですからね、たぶんそんなんじゃ足りないでしょう。