「形探し」のためにコンデジ片手に屋代から埴生方面をひと巡りしました。
正直に言って「見つからない。」という感想です。いい形がこんなにも見つからないものか!と現実を突きつけられた思いでした。



自分の中の求める枠を決めすぎているせいだろうか?日本の家屋やその周りに装飾というものが少な過ぎるからなのだろうか?
途中、Nさんがやっているギャラリー前を通ったら「お茶飲んでって。」と声を掛けられたので、腰を下ろして話し込んだ。 Nさんは今「さらしなルネッサンス」というものを企画していて、近々に金峰山寺から講師を招聘して講演会を開くそうだ。「さらしな」は「更級」のことで、姨捨伝説のある冠着山から北の方面で千曲川西岸にある地域の事だ。 ちょっと説明すると、千曲市は旧更埴市(こうしょくし)と旧埴科郡(はにしなぐん)戸倉(とぐら)町と旧更級郡上山田(かみやまだ)町とが合併してできた平成の新しい市だ。で、更埴市というのは、文字でもお分かりの通り、更級郡の一部と埴科郡の一部とが50年ほど前に合併してできた市だ。僕が生まれて今住んでいるところは、小さい頃は埴科郡屋代町と言った。 で、「更級の里」というのは江戸時代から「月の名所」として世に知られていた土地である(まあ、そこには今で言う「町おこし」の運動の成果があったようだが。芭蕉の田毎の月でも有名だ。)。さらに、中山道の追分宿のひとつである軽井沢の追分には石碑があって、「右、つきのさらしな。左、はなのみよしの」と彫ってあるとか。「花」とは「さくら」、つまりサクラの名所吉野の地に匹敵するくらいに、更級は月で有名であったというわけであろう。 こういうことをもう一度掘り起こして明らかにして、さらにその文化を今また楽しもう!というのがNさんのねらいであるらしい。おもしろいじゃああ〜りませんか!どうなることやら。他人事としても、楽しいことになるといいなと思っている。