僕は歩くことができるので一日三度の食事はラウンジで食べる。入院しているおじいちゃんたちと一緒だ。みんな背中を丸めて食べているがそれは病気なんだから元気がなくてもしかたがない。喋りながら食べているのは僕と同室の人の二人だけである。
僕の食事は「微塵(みじん)食」といって口に入れてそのまま呑み込めるようにと全部細かく切って料理(?)ごとに混ぜてある。ので、どれも沈んだ色になってしまってもともとの食材がなんであるのかの判別が難しい。ニンジンは分かる。カボチャも分かる。ひき肉も分かる。口の中に入れてみて「これは何だ?」と一瞬考えてみる。春菊は香りが強いから分かる。味付けは山葵とか唐辛子とか刺激の強いものは使わないようだ。塩味と出汁、味噌、せいぜいカレー味のうすいものぐらいかな。ご飯は全粥である。家内は「お粥なんて作ったことないからもう少し入院してて。」などと言う。こういうつまらない冗談に妙につき合うと、説明がベタになったり変な方向から逆襲を食らうのが落ちだからハイハイと言って寂しい顔をしておく。たしかに退院後の食事に病院と同等の神経を遣って作るのは大変だ。だがこの二日ぐらい少し歯ごたえのあるものも(といっても魚ですが)出してくれるようになった。それから、食べてみたら豚肉の味がしたときは嬉しかった。うまい!と思った。動物性タンパク質に敵はない。
ラウンジに来る人も様変わりする。もちろん入院したり退院したりするからだ。同級生というわけではない。僕の同室だった人も二人退院された。それまでの食事のときにはゆっくりしたテンポで愚痴っぽく喋っていた人が退院の日に普段着に着替えてラウンジに登場したときには人が変わったようにえらく元気な声で早口で喋っているのには驚いた。Aさんもバッチリ着替えてお迎えの家族を待っている様子は勝ち抜いてきた男の姿に見えたものだ。今同室のIさんも明日退院だということが突然決まって、今日の声は元気だ。健康であるということはありがたいことである。
入院する前に母から広告の裏に書いた走り書きをもらった。「退院してまた家に帰ってくる頃には庭の緑が濃くなっていて若葉が美しくみえるでしょうから、それを楽しみにして大変だけれど頑張ってこい。」というような内容であった。母らしい励まし方と気配りだと思った。