別荘生活も予定のおよそ半分ぐらいは過ぎたのかな?なるようにしかならないんだから、ちゃんと先生の言うことを聞いていい子で暮らしている。
ここに来た当初はまだサクラが咲いていてヤマザクラもぽちぽち見えていた。別荘の東の窓からは松代の東条という地域がよく見える。3人の陶芸家が居るのだが、あの辺りか?と推測したりしてアンズ畑の斜面の広がる長閑な景色を眺めている。
松代の町並みには緑色が増えてきて、麓の方から山頂に向かって毎日少しずつ新緑に染まっていく様子がよく見える。カメラを持ってこなかったことが悔やまれるばかりだ。
夜は9時消灯、朝は6時起床、の規則正しい生活にも慣れた。これ以前には夜は必ずバーボンかアイラを2杯飲むことが習慣になっていたのだが、今や酒のことも思い出さないから不思議だ。じゃあ何故酔っぱらわないと寝る気にならなかったのか?体が疲れを語っているから生気を覚えさせるためとか、自分へのご褒美サとか、いろいろ理由は考えてはみるものの正解なのかどうかは今や判断がつかない。若い頃は無頼を気取っていたのかもしれない。まあもとの生活に戻ればわかることかもしれない。
そんなふうに体をニュートラル(と言うのが正しいのかどうか)にしようとしている生活をしていると、いろんな欲求がなくなっていることに気がつく。先日姉がこっちへ訪れた折りにみんなでローストビーフを食べたとか今夜はお鮨だとかいう話が出たが、それについては何とも思わないから不思議だ。ベッドの上では何もすることがないから、ただただ本を読んでいる。やじろべえの小山さんにも本を読んでればいいよと言われた。休みをもらったんだぐらいに考えればいいよ、と。それで、読みたいけど読めなかった本とかパソコン関係の雑誌とか月の本とかお茶の本(ここ数年紅茶や中国茶などを飲んでいるので)とか手当り次第という感じで持ち込んだ。で、どんどん読める。こんなに活字を追ったのは独身時代以来ではないか?
しかし欲求がなくなる(ほんとか?)ことはある意味危険だと思っている。これから霞を食う姿になるわけではなし、大晦日に叩く鐘の数では足りないような生活をしていくのだけれど、何が必要かを吟味するニュートラルギアの位置は掴めたんじゃないかと思っている。