たまに「みんな戦ってるねえ、、、。」と思うことがある。ご自分と戦ってらっしゃる方は、それはそれでけっこうだと思うのですが、なにやらご機嫌が悪くて全てと戦ってらっしゃる方も見ます。
車で走っていると、譲ってあげればいいのにぶつかるスレスレのタイミングで自分の車をすり抜けさせている光景を目にします。そんなに我だけの道にしなくても、と思いますが。と言う自分も別の意味で戦ってますけど。携帯片手のドライバーが交差点を右折なんかしてるのを見たら、心の中で戦っちゃいますよね。
先日ある新聞のコラムで、白鵬と稀勢の里の勝負で大関が勝った取り組みのときに拍手をして喜んだ観客に対して「日本人はなんて心が狭いんだ!」というようなことを書いてあった、という話を聞きました。書いた彼は、この取り組みを「モンゴル人 VS 日本人」という図式で捉えたようです。事実「日本人横綱待望論」をことあるごとに述べている解説者もいますから、そういう解り易い図式に落とし込む気持ちもわかりますがね。それじゃああまりにも自分の論理の展開に凝り固まっちゃあいませんか?と思っちゃう。立場上弱い者が強い者に挑んで勝利する姿に拍手を送ってはいけませんか?日本国籍を得ないと年寄り株を持てないとか、いじわるなことを考えている輩と同類だと考えているのを感じると、「この人は自分が一番偉いと思う種類の人なんだな。」と思ってしまう。戦っている相手は、誰?誰もいないんじゃ?
これは自分自身への警告です。売られた喧嘩は買いますが、自分から売る喧嘩は軍事国家に突っ走っているかのように見える日本のトップだけですナ、とりあえずですけど。
深澤先生からお手紙をいただきました。

僕の作品を目にすることがあるが洗練されてきたと、いい人生を歩んでいると、自分は九十を前にして制作数が減ってきていると、書かれていました。先生はいつもお手紙で僕を励ましてくださいます。創作者の先輩として恩師としての先生から言葉をいただくと勇気が出ます。この道で行こう!と新たに決意します。心が支えられているのを感じます。先生にはお体に気をつけていただいて、一年に一回励ましていただきたいと、心から思います。