なにやら落ち着かない日々でした。
その間、粟佐区の人権教育研修会があったり(もちろん取材もしました。)、近所の人が亡くなったり(いつもにこやかな人でよく声をかけてくれた方でした。最後に会ったのは昨年のお墓掃除のときだったかな。)、遠くから友人が訪ねてきてくれたり、お通夜や葬儀などに出たり、新しくできた付属中学校の校長先生に会ったり、と頭の切り替えが必要な期間でした。

友人と飲みながらの話題の中で「死生観」についても語り合った。十数年前に僕がしゃべった「死に方」のことも覚えててくれた。考え方が異なっていることも楽しく感じた時間だった。長い付き合いであっても、頻繁に会っているわけではないので、よくわかっているようで解っていないこともあって。ただ純粋に自分のしたいことを見つけ出そうと生き方を考えている姿に感動している。
そんな後、葬儀などの儀式が繰り広げられて、、、立場からしていろいろ支えることもあって、、、浄土宗なので念仏の唱え方や数珠の掛け方や、、、また集まるのが大変だからすぐ納骨したり、、、。個人的な死生観などは簡単に封じられてしまう「宗教」という名の儀式に押し切られていく。人と人との間に生まれる儀式ではなくて、、、。