21日に地区の「堰浚い(せぎざらい)」というのがあって、用水の流れの邪魔になるごみや泥を揚げる作業をします。地区の全戸が出る作業です。
そこで、常会長たちがそのための下見を朝6時半から約1時間半かけて行いました。

これは粟狹神社の横の水路を点検しているところですです。広報部長のわたくしはカメラで取材活動です(来月発行の区報に載せる記事のためです)。
さて、この水は千曲市の隣町の坂城町を通っている千曲川から取水して、水門をいくつか通りながら粟佐地区まで流れ込んできています。およそ水門毎に分岐をして支流となっていくわけです。粟佐地区には大きくふたつの水路が流れていますが、これらの水がスムーズに流れるようにしないといけないのです。
「水利」という言葉をご存知のことと思いますが、稲を水田で育てるには水が必要です。その水を確保しなければ米が穫れませんから、昔から川の水を自分たちの田んぼに引き込むことは重要な事柄だったわけです。上流の人たちとけんかしたり和解したり物を贈ったりもらったりしながらできるだけ共存共栄を図ってきたわけですね。
ですから今でも水路の管理をちゃんと行わなければなりません。水門の管理も地区の重要な仕事なわけです。農業から離れた家が多くなったとはいえ、少なくない家が米を作って日本を支えているのですね。

というわけで、我ら自転車中年暴走族(暴走はしてないか。)はちゃんと水路に関する知識を頭に叩き込むべく走ったわけですナ。

今までぽぽぽのときに「川の流れにそって歩いてみると、昔の生活が想像できておもしろいなあ。」と感じてきましたが、そういうことだったんですナ。