
山の中腹に白く雪が残っているところがありますが、「森の将軍塚」と昔から(僕が小さい時から、という意味です。)言われている古墳です。
4世紀ぐらいに造られた、このあたりのクニを支配していた豪族の王を祀ったものだと考えられているようです。形は前方後円墳で(仁徳天皇陵のように完璧な円を持った形に比べると変形していますが)、現在は復元されていて、見晴らしもいいのでこのあたりの支配下の土地が見えて、当時の様子を想像することができます。墳墓の周りには埴輪が立てられています。埴輪の「埴」は赤土の意味で「輪」は筒の意味だそうです。教え子のみんなは知ってるよね?え?当時の焼き物は鉄分を多く含んだ土(赤土)を使って、覆いのない露天で低温度で野焼きする技術しかなかったと思いますので、できあがったものは明るい赤の素焼き状のものになるわけですよね。
僕の中学時代にこの「将軍塚」が知られるようになったと思うのですが、体育の時間にこの中腹にある古墳跡まで駆け上らされた思い出があります。その頃は発掘した跡があらわになっていて、中の部屋の崩れた空間まで見られましたね。こんな地方にも古墳があったことに妙に違和感を感じたことを覚えています。
おとなになってから父を含めて何人かでここまで登った記憶があります。けっこう急な細い坂道で、きつかったですね。中学生のとき、よく駆け上ったものだと感心します。現在は車で上がることができますわ。カモシカにも会いましたナ。
話は変わりますが、画像の(左側は高速道路です。)手前に広がるたんぼの緑は何だと思いますか?冬のこの時期に緑だなんて。
これは

こういうものなんですが、僕もわからなくて、通りすがった犬と散歩中のおじさんに尋ねたら、「麦だ。」という答えが返ってきました。「稲と違ってこういう混んだ植え方をするのだ。」ということでした。家でも二毛作やってたから知ってるはずなのに、すっかり忘れていました。なんだか自分にあきれてしまいましたよ。