京都では幸運なことに、いくつかの呑み屋さんで旧交を温めたり、新しい出会いを祝したりすることができました。
友人に紹介された祇園北側のバーでは、その友人の旧友は体調を崩していて会うことは叶いませんでしたが、芸妓さんが旦那に連れられてきたのに遭遇しました。ご飯をいただいてきた後ですね、きっと。京都ならでは、の経験です。
もちろん、いつものようにノイリーズバーにも行きました。なんだか最近は「隠れなんとか」で知られてきたみたいで、混んでいるようです。ノイリーさんがそれを喜んでいるかどうかはわかりませんが。
お酒の話はもちろん、音楽の話で盛り上がります。なにしろ彼は現役のミュージシャンですから。カサンドラ・ウィルソンを紹介してもらったのもここです。今回はジョー・コッカーの、今は手に入らないCDをじっくり聞かせてもらいました。スタジオ録音ですが、いい感じの声でした。 ノイリーさんの以前のペントハウスのお店にも行きました。場所が変わっても、酒と音楽という彼の世界(勝手にそう思っているだけですが)はゆるぎないように思えます。こんなに人気のお店になってしまうと、また場所を変えてしまうんではないかと不安になります。
今日は、ある中学校の先生が「話をしたい。」と言うので、出かけていきました。退職を前にもやもやしたものをはっきりさせたいのだと感じました。仕事というものは人生を形づくる側面のひとつですね。それがひと区切りつく直前は、きっと不安になるものです。誰も先がどうなるのかはわかりませんから、どう生きていくべきか?答えを出すのは難しいですよね。成功する確率の問題では決してないのだと思います。でも、不安な時には確率で答えを出したがるようになる気がします。 僕は答えを出せませんから、すぐに花は咲かないこと、畑を耕したり、種を蒔いたり、水をやったりすることだけはできることだし、そこ以外からは何も生まれないことを話しました。 思い返せば、人との出会いが僕を支えてくれていると思います。おとなになった教え子の笑顔に救われ、仕事で関わる人たちからの叱咤激励に背筋を伸ばし、いろんな人からの愛情を感じ、やっとやっと自分を持ちこたえている。そんな感じですわ。 「勇気をもらった。」と彼は言ってくれましたが、これから!ですよね。過去と他人は変えられないけれど、未来と自分は変えられる、ということを思い出しました。 他人事ではありません。「ぶれない」というのも自信につながるのかもしれません。