毎年同じ3人の版画家の作品展が「杏の森板画館」で開かれている。今年で3回目かな?知人のKちゃんが出品しているので必ず出かける。そうそう、今年はここで開催した後に鎌倉でも開かれるそうです、ので、関東平野にお住みの方は検索してお出かけください!
木口木版とエッチングとリトグラフの作品です。自分も学生時代にエッチングをやっていたし、木版もリトグラフも経験しているし、ビュランも使ったので、そういう意味でも、毎年見ているということでも、今年はどんな作品を生み出してるのかなあ?っと興味がある。
一年経って新しい作品を見ていると、それぞれの作家が前に向かって歩んでいることがわかる。本質的に変わらない部分(たいてい本人にはわからないところです。たぶん僕も。)と意識して変えようとしているところとがじわじわとわかってくるような気がする。
3人ともそうやって新しく進んでいておもしろいし羨ましい。負けてはいられない!と変な気持ちが動く。他人の商業ベース的な変化は気にならないが(気にした方がいいんかもしれないけど。)、作品内容の変化は気になる。それはたぶん自分が気になっている事柄だからなのかもしれない。
板画館へのアプローチにはいろんな花が咲いている。
KちゃんやB郎さんの奥さんと話していたらF本先生がいらっしゃった。知り合いの知り合いは知り合いだった、というわけ。 いろんな話に花が咲きました。
ユネスコの世界遺産に日本のいろんな施設が登録されたらしい。しかし、当初反対していたが急に「協力する」と言っていた韓国の土壇場での反対があったとか。 僕の地元の近く長野市松代には、第二次大戦中に大本営をここに持ってこようということで、地下壕が掘られた。その作業のために当時朝鮮から多くの人が連れてこられて従事させられていたと聞いている。 そういう犠牲があって日本の産業が発展した部分も確かにある。所謂強制労働だ。こういう事実があるから韓国の人たちは登録に反対したのだという。 登録に協力すると言っていたのに結局反対したことを問題にしている向きもあろうが、そういう日本人って何? 精査しないとわからないけれど、ほんとうに朝鮮の人たちの犠牲によって日本の産業が発展した部分があるということならば、日本人としてはどういう姿勢を持ったらいいのでしょう?国としてはどうなの?そんなんで認められちゃっていいの?世界遺産に登録されることで、問題はありませんでしたということにしちゃっていいの?ほんとうに自由になることと力で組み伏せていき続ける方法と、どちらがいいの?ユネスコって何?