昨日3月3日は父の命日でした。来年十三回忌となります。
亡くなってからの数年間はお仏壇にお線香を上げに毎日母屋を訪ねておりました。ま、本当はそれを口実に、残された母の様子を見にいっていたんですけどね。今はお仏壇には顔も出さずに、ただ母の様子だけを見にいっている毎日となってます。
毎年この時期は展示会のために大阪に行っていましたので、命日と言っても特に何もせずにいました。
が、今年は大阪の時期がずれたこともあって、母屋でお食事会という運びになりました。
「いつも、いない人の悪口言ってるばかりじゃあ悪いからねえ。」と、母も冗談まじりのつぶやきを洩らす。
で、父の好きだったお刺身と天ぷら(かき揚げが好きだった。)を運んでもらい、おいしさで満足なひとときを過ごしたわけです。
数日前、いつものように父の悪口を聞いていたんですが、永遠に続くのではないかと思われるような母のドラマチックな昔話の中で、父が一度ならず野心を示したらしい話を聞くことができた。以前に聞いたことのある話もあったが、その時は父の野心の痕跡を見つけ出すことができなかったのだ。
男はいつのまにか気持ちが内向きになってしまうものだ。こどもを持っている人はその時期が早いのではないかと思っている。「家族のために生きる。」という姿勢がそうさせるのかもしれない、と思う。僕は幸か不幸かこどもを持っていないのでいつまでも呆けているのかもしれないナ。近所にはこどものいない夫婦がけっこう何組かいるんですが、「俺たち、ずっと大人になれないのかもしれんナ。」とか言い合っている。
父はずっと家族のために働いていてその中で少し出世を願っていたのだろう程度に理解していた。が、少々状況が変わってきた。「家族を顧みず!」まではいかなかったにせよ(実際に顧みないことはなかった。)、自分のやりたいことを追究しようと思った時点が存在していたんだと思う。当たり前のことだ。家族のために働いてくれているんだと思っているのは、そう望む家族だけかもしれない。
僕は父の野心らしきものを見つけて大いに嬉しかった。なんか、いいナ!
無口だった父と話をすることはあまりなかったから、父に関する理解は母の言葉であることが多かった。11年過ぎてやっと父の人生の筋がわかったような気がした。僕がそれだけの時間を過ごしたせいかもしれない、そう思うと不思議なことである。
そんな思いを忍ばせながら命日を過ごした。故人を偲んで過ごす時間。それでいいじゃないか。
暖かくなって、メダカたちも自分の元気を抑えきれないみたいだ。水を換えてやったら、15匹ぐらいに増えていることがわかった。